私たちLIGHTSCENEは、「光」は生物の育成と生活の向上のために存在していると考えています。
建築やインテリアのためだけではなく、人と自然環境のための光を追求し、提案し続けてて行く事が
LIGHTSCENEの仕事と考え、通常業務としてのLighting Designを行っております。
そして今回、 私たちの理想とする 「 こんな照明があったら良いな 」 をカタチにしてみました。
Tokyo Designers Week 2011に出展し、 多くの方々に御賛同を頂き、 販売して欲しいという
お言葉を多数頂きました。 今後、 私どもが想い描く照明環境を体感して頂けることを願い、
製造販売していただけるパートナー企業を探し、 お手元に届けられるよう進めたいと思います。
今後とも、宜しくお願い致します。
LIGHTSCENE inc. 石田聖次 内藤陽子
【 満チカケ 】
2枚の円盤それぞれに大小の丸い開口を設け、短針・長針を示します。
背面を発光させる事で全体が柔らかな光を放つ中、それぞれの丸い光が
別々に回転しながら一時間に一度ゆっくりと重なり輝きを放ちます。
また、昼の光・夕の光・夜の光へと、光色・光量を変化させ、正確な時刻を
表示しないながらも一日の推移を感じられます。
太陽や月はゆっくりと位置や形を変化させながら時を刻む。
その中で時間が生じ私達の生活は成り立っている。
一日の中でゆっくりと想いに耽る、時間を忘れてそれぞれの時を楽しむ
そんなひとときは素敵であるようにと願っています。

【 MARU-Spot 】
穴の空いた球体の中から、強い光がもれ出しているようなSpotLight
クルクルと回して照らしたい方向を向けることができ、
内部フィルターを交換する事で配光角や色を自在に変化させ楽しむ事ができます.。
好きな場所に置いて、好きなものを照らして、好きなように変化させ
遊ぶように光を楽しんでください。
非接触充電式 置き型/壁付け

【 BONE-Stand 】
暮しの中では、現在流通しているような強い光ではなく、小さな光で良いと考えています。
一カ所から全体を照らすのではなく、明るくしたい所のそばに光源があれば、小さな光でも充分に明るくすることができます。
それが幾つかあれば、空間全体を明るくするよりも落着きがあり、雰囲気も良くなります。
「適光適所」に対応し、パーツを変えることで自分の生活に合わせた光をつくり、
光を身近に感じて楽しんで頂ければと考えています。

【 BONE-Pendant/Spot 】
スタンドと同様に「適光適所」に対応し、パーツを変えることで自分の生活に合わせた光をつくり、
光を身近に感じて楽しんで頂ければと考えています。

皆様の、ご意見ご要望など頂けましたら幸いです。 LIGHTSCENE 一同
ご無沙汰しています。日差しが強い夏の期間は行動が先行してBLOGをアップする間もなく忙しくしていました。申し訳ありません。
近況報告…先日のTOKYO DESIGNERS WEEK 2011に参加致しました。
多くの方々が、私たちのブースに御立ち寄りいただき、大変嬉しく思います。
有り難うございました。
これから、商品化に向けて進めて参ります。随時進行状況をBLOGにアップして行きたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

また、コニカミノルタさんの有機ELのプロモーションのお手伝いをしています。でも機のDESIGNさせていただきました。
http://www.konicaminolta.jp/oled/topics/2011/1003_01.html
今後、これまでの事など頑張ってアップして行きますので、宜しくお願い致します。
石田聖次・内藤陽子
照明デザインと出会う前の学生時代の夏休み。童謡“月の砂漠”の像がある海岸の海の家で泊り込みのアルバイトをしていた。日帰り客がメインの海岸は夜明け前から客が訪れる。20軒以上並ぶ海の家でも、一番の生真面目オヤジのため客の音がすると何時だろうと店を開ける。テーブルと椅子を運び、パラソルやボートなどを店と海の中間まで運び、そこから空と海を眺める一日が始まる。
約一ヶ月のアルバイト、同じ事の繰り返しだったが同じ風景は一度も無かったからだろうか、見飽きる事はなかった。
太陽は、ほとんどの場合変わらずに輝き、海はいつものようにうねっている。
いつものように東の空が明るくなり、小さな発光体が出現し、海に線を引きながら大きな輝きへと変化する。そして直視できないほどの発光体へとなる。
その単純な繰り返しに、大気の状況や雲のかかり具合の変化が加わる事で多彩な情景を生み出していたのだろう。
最近、節電のためという名目で夜間景観が貧しくなったようにも感じる。これでは、夜に外へ出て楽しむ気にもならない。それぞれが、早い時間から家に帰り、人工照明のもとテレビやゲームをしていたのでは、あまり節電にはつながらないし、経済的にも低迷する。
美しさを感じる景観には、人を魅了する力がある。
最低限の明るさを考えた時に、人が行動するための光と空間を構成するための光がある。オフィスなどで言われるところのタスク&アンビエント方式だ。一般的に言われている“照度”というのは、人が行動する時に必要とされる光を測るための単位で、見た目の明るさとは同じではない。環境を整える光こそが、見た目の明るさや空間の心地よさを表現する物でもある。その環境照明が、今回の節電で大きな影響を受けているのだから、不平不満がでるのは当たり前のことでもある。とはいえ、もともと環境照明を考えて設計していたところは少なく、明るすぎる照度が周辺の環境までを明るくしていたという現実がある。ある意味、環境照明は副産物だった。
正しく照明を考える場合、行動を補助する光と環境を整える光は違う物と捉える必要がある。もしも、他に影響を与える事無く行動を補助する適正照度だけを確保できたならば、環境を整える光は多くの事ができる。自然界の光のように常に変化していても行動に対する影響がでないため愛おしさを感じさせる事すら可能となる。また、環境さえ整っていれば済む場所も多くあるはずなのに行動を補助する光「基準照度」を設定する事で豊かさが半減してしまう場合もある。
基準照度ではなく楽しい光で環境を作っていったら、光に対する価値観も変わるのだろうと思う。
LIGHTSCENE 一同
2003年に行った某展示施設の階段室 普段は青い空間

人が入るとセンサーで演出が始まる。8パターンがランダムに出現

温かな春の風にのって、窓の外からチェンバロの音でホルストの惑星(木星)が聞こえて来た。独特の軽い音色がとても心地よく、気持ちが和らいで来る。複数の音色で幾つかの旋律が調和するオーケストラも良いけど、シンプルな音色で聞こえて来る音色は気持ちもシンプルになる。まるで計画停電の時、蝋燭の明かりだけで過ごしていた時のようだ。
音に好みがあるように、光にも人それぞれの好みがあるのだと思う。
音と光は良く似ている。大きな音の中では小さな音が聞こえなくなる。高音は遠くまで届くが低音は届かない。光も、昼行灯という言葉があるように、高照度の中では小さな光が見えなくなる。航空障害灯でも解るように、高波長の赤系は遠くまで届くが低波長の青系の光は届かない。
根本的に違う事は、音は音楽などで楽しむが、光は明るくすることが目的となる。
多くの方々は好きな音楽を持っている。そして年代によっては、他の音楽に否定的であったりする事もある。やはり、光環境も似ている。低照度を好む人が居れば高照度を好む人も居る。電球色を好む人が居れば昼白色を好む人が居る。生態学的には好ましい光環境はあるが、基本的に太陽とともに暮らしているかぎり、人工的な光は好きにしても良いのではないかと思う。ただし、地球環境や周囲への気遣いさえあれば良いだけの話だと思う。その前に、好みの光環境というのも真剣に考えてもらいたいところでもある。
問題となるのが公共空間。最近の節電で多くのところが暗くなっている。それぞれの好みにより賛否が分かれているが、最低限となる明るさだけは確保しなければ付いている意味が無い。この節電は、原子力発電が停止したため電力不足が原因であるが、もともと地球環境のことを考えると不必要な明るさは地球や生態系に対して不自然な明るさであるようにも感じていた。これを機に最低限の明るさについて考えて行くべきなのだと思う。
光の好みは、ヘッドフォンで音楽を聴くように、各個人の環境にて展開していただきたいものだ。
音と光りについてもう一つ…昔のレコードは音の振動をそのまま再現していたと聞く。デジタル音源に変わった時に人の聞こえる波長だけを再現するようになり、重さや深みが無くなったと言われた時代があった。
最近のLEDは可視光だけを再現している。これもデジタル音源に近いものではないかと考えていた。ただし、光は楽しむものではなく健全な育成にとっても大切な要素である。影響は出ているのか?それとも順応するのか?まだまだ、未知数だと考えている。
LIGHTSCENE 一同
夕暮れの霞の中音楽を楽しむ人々…

昔の人たちは自然とともに暮らしていた。特に日本人は庭に白砂を撒き太陽光を屋敷内に取り込むため反射効率を高めたり、障子のように一度拡散させて部屋全体に自然光を取り入れたり、金屏風のように光を受けやすい素材を部屋の奥に置いたりしていた。これを陰影礼賛の日本的文化という方が多くいると思うが、逆に考えると光に対する欲求が昔からあったのだと思う。
光に対する思いが強いからこその陰影礼賛。
暗い事が美しい訳ではなく、生活の中で必要な明かりを工夫して確保していたからこその美しさがあったとも思える。それ故に、わたしたち照明デザイナーは、今の生活の中に適した光を創造する事が仕事となる。決して、ヨーロッパでは…とか、昔は…では無く、リアルに生活する中での光の在り方を考えることが、陰影礼賛に繋がると思う。
もともと必要されていた光は、そんなに多く無かった。それが、日本工業規格などの基準や、光に集まる生物の性質に乗っかって明るさが過剰になってきた。明るくすることで視覚情報が高まり、利便性は高まるので推奨するのは当然である。そして、夜間などは視覚情報を高める事で犯罪を抑制し、安心感を与え、防犯に役立つという事にもなる。逆を言えば危険に対しては無意識になる。いつの間にか明るいことが日常化してしまい、注意力も警戒心も無くなってしまったようにも感じる。
生物は常に進化をしているけど、人は道具を進化させる事で退化している。
目的地にたどり着けないとか、夜が怖いなど、今回の節電で暗くなっている世間に不便を感じている方々の話が多い。そして、その不便を解消するために考え、根本的なところで以前と変わらない社会を作ろうとしているようにも感じる。それは、光が単純な道具として扱われ、その大切さが無意識となりすぎているようにも感じられる。
多くの照明デザイナーは、光に対して常に真剣に取り組んでいる。少なくとも10年以上照明に関わっていると、おのずと光の本質を追求しなくてはならなくなる。そして、今までの明るさについても、常々明るすぎるという発進を行って来た。
これまでは、そのような取り組みを社会が受け入れてくれる事は少なかった。今回は見直してくれるのだろうという思いもあったが、違う方向に進みそうな気配すら感じられる。
少ない光を効果的に使う工夫をするからこそ、陰影礼賛の世界観が産まれてくるのだと考えている。
LIGHTSCENE 一同
以前のブログでも紹介したLIGHTSCENEが行った台湾のスーパーマーケット。
日本では、照度基準があるために実現不可能だが、ベース照明などの不要な光は排除したため、日本のスーパーに比べ消費電力は半分以下となった。
